ほとんどの球技ではユニフォームの背中側に背番号があり、それで選手を識別している人が多いですね。日本の中でメジャーなスポーツである野球にも背番号がありますが、どのような意味があるのでしょうか。
学生の時は1桁の選手が多いですが、プロ野球選手は数字が大きい人も少なくないですよね。そこで今回は、野球背番号意味やポジションとの関係、歴史、永久欠番について紹介します。
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野球の背番号の意味とは?
ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手は背番号17を背負い、チームメイトである山本由伸選手は18番を背負っています。プロの世界では2桁の数字の背番号を背負っている選手が多くいますが、意味などはあるのでしょうか。
参考サイト:中日スポーツ
それでは、プロ野球の背番号の意味について詳しくみていきましょう。
1桁はレギュラークラス
プロ野球界では1から9までの1桁の番号は、レギュラークラスの選手というイメージが持たれています。この背景には学生時代のポジションと背番号が連動していることが関わっていると思われます。
そのため、多くの選手は特別な思い入れがなければ、1桁の番号を選ぶことがあり、球団側も期待の若手選手には1番から9番など若い数字を与えることがありますね。なので、野球をあまり知らない人は、1桁の背番号を背負っている選手に注目してもいいのではないでしょうか。
エースナンバー
プロ野球ではエースナンバーとして18番が使用されることが多いです。18番がエースナンバーとされる由来はいくつかあるとされ、最も得意とする十八番(おはこ)からきているという説やこれまでに多くのエースが背負ってきた番号だからという考えもあります。
実際に背番号18番を背負っている選手として、山本由伸選手や読売ジャイアンツ時代の菅野智之選手、東北楽天ゴールデンイーグルス時代の田中将大選手、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔さんといった名前が挙げられますね。
栄光の背番号
1桁の番号や18番を除き、栄光の背番号と呼ばれる特別なものもあるとされています。読売ジャイアンツの55番は、メジャーリーグでも活躍した松井秀喜さんが背負っていた番号ということでかなり特別な背番号として扱われていますね。また、日本が世界に誇る安打製造機であるイチローさんの背番号51も、日本では特別視されています。
また、助っ人外国人の間では差別と戦いながら輝かしい功績を残したジャッキーロビンソンさんの42番も人気で、メジャーリーグの全球団で永久欠番となっているそうです。
育成選手
NPBでは70人の支配下登録選手以外に育成選手という枠が設けられています。育成選手はドラフト指名するほどではないが、ポテンシャルを秘めている選手を獲得する際に使われる枠で、支配下登録とは違って制限などはありません。
NPBでは0番から99番までが支配下登録選手となっており、育成選手の背番号は3桁となっています。育成選手の給料は支配下登録選手と比較するとかなり少なく、実際に1軍の舞台で活躍したのは千賀滉大選手や甲斐拓也選手など限られた人しかいません。
背番号とポジションの関係は?
プロの世界では選手は好きな番号を付けることができますが、テレビ中継されている甲子園に出場している高校球児のほとんどは両チームとも1桁の背番号を背負っていることが多いですよね。
実は高校野球などではある法則に従って背番号を決めているとされています。それでは、野球の背番号とポジションの関係について詳しくみていきましょう。
ポジションに振り分けられた番号
野球の9つのポジションには番号が振り分けられています。
- 1番:ピッチャー
- 2番:キャッチャー
- 3番:ファースト
- 4番:セカンド
- 5番:サード
- 6番:ショート
- 7番:レフト
- 8番:センター
- 9番:ライト
そのため、高校野球ではレギュラー選手には各ポジションと同じ番号が与えられています。また、控えのピッチャーは10番と11番を背負っていることが多いです。なので、2桁の番号を背負っている選手が出場している時は、控え選手であるということが一目瞭然ですね。
10番はキャプテン
高校野球では背番号は控えピッチャーの番号でありますが、少年野球では別の意味を持っています。少年野球において背番号10番はキャプテンを務めている選手が背負う番号だと決められているそうです。
背番号10番と統一しているのは、キャッチャーが誰なのかを分かりやすくするためとされています。
背番号の歴史とは?
今でこそ当たり前になっている背番号という制度ですが、MLBが発足した当時はなかったということをご存知でしょうか。また、野球では歴史に名を刻むような活躍やその球団の象徴となったような選手が付けていた背番号を永久欠番とすることがあります。どのような選手の背番号が永久欠番となっているのか気になりますよね。
それでは、野球の背番号の歴史と永久欠番についてみていきましょう。
スコアカードを使っていた
MLBは1876年に始まりましたが、そこから50年以上も選手のユニフォームには背番号などは書かれていませんでした。しかし、当時はスコアカードというグッズが販売されており、そこに番号が振られ、スコアボードに表示された数字と照らし合わせていたそうです。
ただ、ビジター側の選手の番号とはリンクしていなく、不便な面もあったとされています。また、背番号が導入されなかった背景には、グッズの売上が減少することと選手側から囚人を連想されるということから嫌煙されていました。
ヤンキースが初めて正式採用
背番号を初めて正式採用したのは、MLB屈指の強豪チームであるニューヨーク・ヤンキースでした。ただ、それ以前にも違った形で番号を取り入れているチームがあり、1916年にクルーブランド・インディアンスが袖番号を導入しましたが、数字が小さすぎるということから廃止になってしまったようです。
ちなみに、ニューヨーク・ヤンキースが導入した背番号は打順通りに振り分けられ、控えキャッチャーが9番で、11番から21番までがピッチャーとなっていました。
永久欠番一覧まとめ
ここからは日本のプロ野球における永久欠番、及びそれに準ずる番号について紹介していきます。
埼玉西武ライオンズの例
現役時代は西鉄ライオンズ一筋、プロ通算276勝を挙げた稲尾和久さん。1958年の日本シリーズで崖っぷちから4連投4連勝でチームを日本一に導くと「神様、仏様、稲尾様」と賞賛されました。
稲尾さんが現役時代、ライオンズ監督時代につけていた24番は、その後もしばらくは他の選手がつけることもありましたが、稲尾さんが天へ旅立った後の2012年に永久欠番に指定されることとなりましたよ。
中日ドラゴンズの例
中日ドラゴンズでは現在二つの番号が永久欠番に指定されています。1941年に本塁打王に輝いた服部受弘さんの10番と1952年に首位打者、打点王、最多出塁数のタイトルに輝いた西沢道夫さんの15番です。
二人は1958年、チームの若返りのために30歳以上の選手達を辞めさせるという方針をチームが取った際に、その妥協点として永久欠番指定、オープン戦での引退試合の開催という待遇で現役を引退することとなったそうですよ。
阪神タイガースの例
長い歴史を持つ阪神タイガースでは3つの番号が永久欠番に指定されています。球団創設メンバーのミスタータイガース、藤村富美男さんの10番は、ただ一人だけが着用しその後永久欠番となったNPB唯一の番号です。その後、3度の沢村賞に輝いた村山実さんの11番、遊撃手として9度のベストナインに輝いた吉田義男さんの23番も永久欠番指定されましたよ。
2012年に現役引退した金本知憲さんの6番も、現在は準永久欠番の扱い。ふさわしい選手が出てくると6番を継ぐ、ということになっていますがしばらく誰もつけていないままなのですね。
広島東洋カープの例
広島東洋カープの永久欠番も3つです。日本記録の2215試合連続出場記録を持つ鉄人、衣笠祥雄さんの3番、10度のベストナインとダイヤモンドグラブ賞を受賞したミスター赤ヘル、山本浩二さんの8番、そしてカープから海を渡りメジャーで活躍、カープに男気復帰し2016年にチームを優勝へ導いた黒田博樹さんの15番です。
読売ジャイアンツの例
最も多くの永久欠番を抱えるのが読売ジャイアンツです。戦場で命を落とした日本プロ野球黎明期のスター、沢村栄治さんの14番、1944年にリーグ最高出塁率を記録するも現役のまま腸チフスで亡くなった黒沢俊夫さんの14番が日本球界初の永久欠番として制定され、その後もプロ史上初の2000本安打を記録した打撃の神様川上哲治さんの16番、NPB史上唯一の400勝投手である金田正一さんの34番、プロ野球そのものの人気を押し上げたミスタープロ野球長嶋茂雄さんの3番、NPB記録である868本塁打を記録した王貞治さんの1番が永久欠番となっています。
北海道日本ハムファイターズの例
北海道日本ハムファイターズでは100番という番号が永久欠番に指定されています。これは、球団買収の末日本ハムファイターズとしてプロ野球に参戦し、球界きっての野球好きオーナーとして知られた大社義規さんが没後の2009年に特別表彰で野球殿堂入りした際に永久欠番として制定されたものです。
ファイターズではダルビッシュ有選手、大谷翔平選手がつけた11番も二人に匹敵するスターが登場するまでの連名欠番となっており、また大沢啓二さんが監督時代につけていた86番も大沢啓二さんが亡くなった後に永久欠番化が検討、正式には制定されなかったものの今に至るまで他に誰もつけていない状況です。
東北楽天ゴールデンイーグルスの例
東北楽天ゴールデンイーグルスは2004年の球団発足時にスターティングメンバ―9人に続く10人目を意味する背番号10をファンナンバーとして永久欠番に指定しています。
また、2013年にチームを球団初の日本一に導いた星野仙一さんの番号、77番も永久欠番に指定されています。監督としてのみの番号が永久欠番に指定されたのはこの事例が初のことですよ。
オリックス・バファローズの例
オリックス・ブルーウェーブ時代に7度の首位打者に輝き、メジャーの舞台で輝いた球団のレジェンド、イチローさん。彼がつけた51番はチームがオリックス・バファローズに変わった今もなお誰も背負っておらず、イチローさんの現役引退時にバファローズは事実上の永久欠番としての扱いを継続することを表明しています。あくまで正式な永久欠番ではないようですけどね。
福岡ソフトバンクホークスの例
2000年に現役のまま病でこの世を去った福岡ダイエーホークスの炎の中継ぎ、藤井将雄さんの15番は、その後永久欠番化が検討され、ソフトバンクホークスへと姿を変えた今も誰も背負うことなく準永久欠番として続いています。
王貞治さんがホークスの監督として背負った89番は、王貞治さん本人が永久欠番としての扱いを固辞する一方でその後も背負う者は現れず、2026年に球団は「みんなの番号」として89番をチームの象徴に据えました。同年にはホークスの選手全員が89番を背負ってプレーするという試合も行われましたよ。
千葉ロッテマリーンズの例
千葉ロッテマリーンズでは2005年よりファンのための番号として26番が指定されており、事実上の永久欠番となっています。ベンチ入りできる選手の数、25の次の番号ということで、ファン一人一人が26人目の選手ということなのですね。
また、球団史上3人目の2000本安打達成者となった幕張の安打製造機、福浦和也さんが引退を表明した際には、福浦和也さんの背番号9を球団の準永久欠番に定めています。
まとめ
今回は野球の背番号の意味やポジションとの関係、歴史、永久欠番について紹介しました。
野球の背番号の意味は様々あってレギュラーというだけではなく、中には個人的な想いを込めている選手もいます。また、各球団の永久欠番を知ることで、レジェンド選手を知ることもできるので、気になる人は調べてみても面白いのではないでしょうか。










